監修 / 和歌山県立近代美術館

萩原朔太郎の第一詩集『月に吠える』の挿画で知られている。近代版画の黎明期に恩地孝四郎、藤森静雄と共に創刊した版画誌『月映(つくはえ)』をはじめ、17歳から23歳で亡くなるまでのペン画、木版画作品、そしてこれまであまり知られてこなかった詩歌などの文章を紹介。田中恭吉の全貌に迫る。

私は日本人の手に成ったあらゆる芸術の中で、氏の芸術ほど真に生命的な、恐ろしい真実性にふれたものを、他に決してみたことはない。   —————萩原朔太郎


・A5判
・上製本 総328頁
・図版147点
・文/木股知史・井上芳子・寺口淳治
・付/年譜・主要文献目録=三木哲夫編

■定価 3,981円(本体3,619円)
ISBN978-4-947666-60-4


【内 容】本書論文は「第25回倫雅美術奨励賞」を受賞しました。
熊田 司    序にかえて ― 世紀を隔ててみる田中恭吉の藝術
井上芳子   各章解説
図版と文芸作品(章解説を含め244頁)
第一章 東京美術学校入学まで 1909-1912
第二章 夢二の周辺、回覧雑誌『密室』 1912-1913
第三章 病める自画像 1913-1914
第四章 『月映』という宇宙 自刻木版画と詩歌1914-1915
第五章 郷里で過ごした最後の一年
寺口淳治   田中恭吉 ― 迷へる夢から覚めた人
木股知史   田中恭吉の表現 ― 底痛みのする革命
三木哲夫編  田中恭吉年譜
主要文献目録

田中恭吉 (たなか きょうきち 1892-1915 )
和歌山市に生まれ。1910年白馬会原町洋画研究所に入る。 1911年東京美術学校日本画科
に入る。1913年竹久夢二編輯『櫻さく國』桜桃の卷に未知草の名で詩を寄稿する。1913年
大槻憲二、藤森静雄らと回覧雑誌『密室』を始める。1914年恩地孝四郎、藤森静雄と私輯
『月映』が発刊される。1915年、病床にて萩原朔太郎の第一詩集『月に吠える』のための
画稿を描くが未刊に終わる。1915年、肺結核のため逝去。